好き嫌いについて考える。

もちろん花丸さんの話である。
好きなものはみかんとあんこ、嫌いなものは麺類と牛乳。
みかんとあんこについてはG'sマガジンの11月号多少言及されている。
たい焼きの食べ方とか。

そっちについては、まあ、甘いもんね、僕も好きだよ、くらいの感想だ。
思いつくとすれば、強いて言うならみかん風味の和菓子が好きなのかというくらいか。
たとえばダイヤさんは抹茶味の菓子を挙げているが、それと抹茶や菓子はどの程度好きが離れているのか。

・・・というかこういう本人に聞く好きって、その時々で変わるべきというか、別にそれだけ食べるわけではないし、さまざまな好きがあるべきではなかろうか。
嫌い、という方はそれを除けば大丈夫だし、そもそも用意されていないこともありうる。
しかし、好き、に関しては、もしそれがなければどうしようもない。
それを踏まえると、現実的な判断基準として使うならば、いま用意されている食材の中だったらどれが好きかという、場合ごとの話であった方がいいはず。
加えて、その食べ物のどこが好きか(食感か、風味か、あればそれだけでうれしいのか)などが必要になるはずだ。

たとえばあんこにしたって、利用している和菓子はいろいろ存在する。
あんこを使ったかき氷だって和菓子には違いないが、しかしたとえばそれとお饅頭を同列に扱うのは、デザートメニューの選択肢としてはありえても、『あんこを使ってるんだし、どっちでも同じだろ?』と言われたら首を傾げる人は多いと思う。
また、あんこの使われ方としても、あんこそのものが詰まっているものや、生地に練り込んであるだとか、あんこの風味だけがするだとか、いろいろあってしかるべきだ。

何の話だっけ?

要するにつぶあんとこしあんのどっちが好きですか、とか、みかんの筋は取りますか、とかの話だ。


さて、一方で嫌いなものだが、これは僕にはちょっとわかりかねることが書いてある。
麺類。
好きじゃない人が存在していいのだろうか。
麺類と大雑把に書かれているから、和洋中満遍なく好まないのだろうけれど、あまり見たことのない嗜好だ。
少なくとも、味覚の問題でないことは想像できる。
麺類といっても千差万別であり、麺類が出す味が総じてダメ、というのは考えづらい。
とんこつラーメンはくさくてだめ、という話なら理解しやすいのだが。

というわけで、おそらく嫌う理由は味覚以外に存在する。
それはなんだろうと思ったときに、たとえば作法的な問題で好まないというのを思いついた。
すする音が好きじゃないとか、逆にどうしても音を立ててしまうので恥ずかしいから好きじゃないとか。
スパゲッティに関しては、食べにくいから、やっぱりすすっちゃう・・・とか。
麺類自体は好きだけど、恥ずかしいのと説明が面倒だから、嫌いといっている・・・というのはアリではなかろうか。
ダイヤさんあたりが厳しいとか、ルビィさんが苦笑いして見てくるとか、そういうコンプレックスと絡めるのも楽しそうだ。


さて、もうひとつの嫌いなものは、牛乳である。
これに関しては、単純に胃腸の問題で苦手な人もいるので、そうなんだろうな、という感じだ。

だが、これが花丸さんに当てはまるかはわからないが、嫌いなものというのは、注釈つきのことがあると思う。
僕も牛乳は嫌いということが多い。
だが、低音殺菌の牛乳は好きだ。
世間一般の思い浮かべるそれは嫌いだけど、一部のそれは好き。
それを誤解を恐れずに表現すると、『それは嫌い』となることがある。


他にも例をいろいろと考えてみたが、結局、興味のない人から雑にラベリングされてうれしい人なんて存在するはずもないという結論に達した。
自分が好きな趣味などに対して考えてみれば、すぐにその乱暴さがわかるはずだ。

人の趣味に口を出すときはその辺に気をつけるべきだし、自分が言われたとしても『お前にはわからないだろうな』・・・もとい、『お互い様』と思える広い心でいたいものだ。


何の話だっけ?