ネタバレは全力で避ける。

ネタバレはなるべく避けるようにしているし、しないようにしている。

するとしても、可能ならば反転など、通常では見えないように。しないときもあるけど。

ここでいうネタバレというのは、エンターテイメント作品、特にミステリとかに代表される、起承転結の転が非常に重要な作品に、『限らない』。


ではどういうものも含むのかというと、ライフハックとか、方法論とか、そういうものだ。

そういうものにおけるネタバレというのはどういうことかというと、それは簡単だ。

その方法を知った後に、その方法をまったく試さなかったら。

その方法が特に必要ではないのに、その方法を知ってしまったら。

そういうときに、いわゆるミステリなどにおけるネタバレと同じ状態になる。

同じ状態というのはもちろん悪い意味で使っている。


人間というものは、様々な文脈を通してしかものごとを判断できない。

これは良い悪いではなくて、そういうものだから仕方ない。

で、ネタバレというのは、この文脈に大きく関わってくる。言うまでもなく。


例えば主人公を導く先輩のような存在がいる。

しかし、孤独を感じており、心には弱さを抱えている。

そこで主人公がその孤独を取り除くことで、先輩は生まれ変わったかのような心持ちになる。

が、直後に死ぬ。

マミさんのことだが。

ここで、マミさんが死ぬことを知ってしまっている人間と、知らない人間は、この作品を見て、同じ感想を抱けるだろうか。

かなりの確率で、無理だと思う。

死ぬことを知っている人間は、死の前段の描写を前フリとしてとらえてしまう。

知らなかった人間は、死そのものに衝撃を受けてしまう。

そもそもの、注目する部分が違っているのだから、同じ気持ちにはなれるはずがない。


さて、まどマギの話がしたかったわけではなく、ライフハックに関してのネタバレの話である。

ライフハックにおいては、前述のマミさんの死が、ライフハックという方法論における『キモ』の部分になる。

初めてその方法論を見た人間は、『キモ』の部分に感銘を受けて、やってみよう、という気持ちになるのだ。


しかし、ネタバレ、つまりそのキモが既知のものになってしまった人間はどうだろう。

キモをすでに知ってしまっているため、それほど感銘を受けない。

その他の細かい部分に意識が行ってしまう。

つまり、うまくいかない。

あるいは、キモを重要なものとして考えられない。

当然だ。

なんのかんのと知識を集めてみたところで、人間は体験には勝てない。

それは成功体験を繰り返してしまうことを思えば、容易に納得できるだろう。

そして、ネタバレを受けると、新鮮な衝撃を味わうことができない。

それは、その方法論が『重要ではない』ということを体験したに等しい。

『重要じゃない』ことを体験した方法論を続けることができるだろうか?

できるはずがない。


まあ、そういう話だ。

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